掲載日:2021年06月22日  更新:2021年10月07日

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NEXT AWARD トレーナー・インストラクター オブ・ザ・イヤー 2011

フィットネス業界の発展に力を注ぐ指導員を表彰する 『トレーナー・インストラクター・オブ・ザ・イヤー』がついに決定!各受賞者およびその活動内容を一挙紹介。


トレーナー部門

最優秀賞
田中宏明さん
パーソナルトレーナー

④エアロ侍合宿inスタジオヒグチ。今も北海道でトレーナーとして活躍する僕らの原点となったエアロ侍!数々の大会で賞を頂くことができました

田中さんのこれまでの仕事人生グラフ

インストラクター部門 最優秀賞 NOBU 高橋さん(30歳)

数少ない東北エリアで活動する男性インストラクターとして、インストラクターを一生の仕事にしようとビジネスを学び始めていた。それが復興支援の活動に活きた。復興支援もビジネスも、長く続けることが重要で、そのための基本は同じ。対価をいただき、相手の方を幸せにする。そしてその原資をもとに、さらに多くの方を幸せにしたいという、熱い思いを形にした。

震災復興に学んだビジネスの基本

2011年3月11日の東日本大震災は、日本全国に大きな影響をもたらす惨事となった。NOBU高橋さんは、その震源地近くの仙台に在住し、インストラクターとしての活動も宮城県を中心にしていた〝被災者〞の一人だ。ライフラインがストップし、仕事先も再開の目途が立たず、人々が生活を取り戻すことさえ時間がかかることが予想された。そこで高橋さんは、家族の体調不良もあったことから、実家の秋田に戻り、そこで自分ができることを考えることにした。

「その時は、とにかく運動指導者としてできることは何かと考え、探し、カタチにしようと思いました。初期の段階では主にチャリティイベントにプレゼンターとして参加し、集まった支援金をボランティア団体に寄付したり、ボランティア団体を通じて支援物資を被災地に届ける手伝いをしました。7月頃から宮城県岩沼市を中心に、仮設住宅入居者に対するイベントを担当するようになりましたが、その活動も市の予算は10月まで。それでも、本当の復興はこれから。どうにかその活動を定期的な『健康運動サロン』として定着させたいと考え、岩沼市と協力して仕組みづくりを進めました。現在は、仮設エリア西・東・南というそれぞれのエリアで、毎週月・火・水に地域の方々が集まって軽い運動で身体と心をほぐしていただく機会を提供しています」

この活動を通じて痛感したのが、〝続けることの大切さと難しさ〞だという。高橋さんは、本当の意味で地域の方々の身体と心の支援をするには、サロンの活動を毎週定期的に行うことが大切だと考える。それは身体のケアはもちろん、顔見知りになって、絆が感じられ、心が安心できるようになるには、コミュニティづくりが不可欠だからだ。岩沼市の職員からも、5年間のスパンでサロンの運営を考えて欲しいと言われている。高橋さんは、自分がイニシアチブをとってこの活動を続けることを覚悟したとき、震災前に着手し始めていた、インストラクターとしてビジネスをすることとの共通点を見出した。

「健康運動サロンの活動を5年間続けようと本気で考えたとき、ボランティアでは続かないことを改めて認識しました。1人では続けられないことももちろんです。仲間を募り、活動の原資が集め続けられる仕組みがあってはじめて、活動を継続することができる。そのためには、いい商品を作り、それを多くの方に買っていただくことが必要で、これはビジネスとまったく一緒だと思ったんです。そこで、サロンの活動も自分のビジネスの一つとして捉え取り組んでいます」

インストラクターを一生の仕事に

高橋さんが、インストラクターを一生の仕事にしようと決めるに至ったきっかけは、高橋さんが0歳の頃に遡る。高橋さんは心臓の右心室と左心室の間にある心臓壁に穴があるという数千人に1人の確率で発症する病気を持って生まれた。1歳になる前に手術をし、小学校6年生まで激しい運動を禁止されていた。友達が元気に校庭を走り回る姿を見ながら、幼な心に「動きたくても動けない悔しさ」を嫌というほど味わったという。

その反動で中学校からはスポーツ一色。入学式早々に「絶対スポーツがしたい!」とバレー部に入部。とはいえ、急に激しい運動は許して貰えず、医師には「ボール拾いだけ」の約束で許可を得た。定期的に検査を受けながらの部活動だったものの、バレー部の監督は高橋さんを抜擢。気付けばレギュラー選手となり、キャプテンになっていた。

高校に入ってもバレーボール熱は高まる一方で、どうすればさらに高くジャンプできるかを研究しようと地域のトレーニングセンターに通い始めた。そこで、インストラクターやトレーナーという職業があることを知る。この仕事に興味を惹かれ、大学時代アルバイトとしてインストラクター業を始めて以来、一歩一歩、着実にキャリアを積み現在に至っている。
「体育大学に入学が決まった時、わがままを叶えてくれた両親に感謝するとともに、必ず運動指導をする職に就こうと決心しました。エアロビクスインストラクターという道を選んだのは、大学時代のアルバイトがきっかけです。

「体育大学に入学が決まった時、わがままを叶えてくれた両親に感謝するとともに、必ず運動指導をする職に就こうと決心しました。エアロビクスインストラクターという道を選んだのは、大学時代のアルバイトがきっかけです。スイミングインストラクターとして監視中に見たアクアビクスが特に衝撃的で、老若男女、体力レベルも違う方が一緒に楽しそうに運動しているシーンを目に『自分もやりたい』という気持ちが一気に高まりました。その後クラブに入会して参加したエアロビクスで男性インストラクターがあまりにカッコよかったこと、アルバイト先でインストラクター養成コースに通えたことなど、偶然に導かれるように、この道を選んでいました」

大学卒業後は迷わずフィットネスクラブ運営会社に入社。憧れの仕事に就き、順風満帆の高橋さんに転機が訪れたのは、それから3年半が過ぎる頃。社員スタッフとして管理職に進むことについて打診があったのだ。高橋さんはフィットネスクラブの仕事にもやりがいを感じていたものの、当時任されていたスタジオ担当者として仕事をする中で、業務委託のインストラクターから、フィットネスクラブ内だけでは知ることのできない、〝外の世界〞の話を聞く機会が多くあった。その話に、もっと大きなフィットネスの可能性や、インストラクターとしての仕事の可能性を感じていた。そして、フリーになる道を選んだ直後に出会った梅村隆さんに大きく影響を受けることになる。

「フリーの道を選ぶことに迷いはなかったものの、一生続けたいという気持ちが強かった分、不安も大きかったんです。その時に、梅村さんのビジネスセミナーの広告に書かれていた『本気の方は、本気メールをください』という言葉が目に飛び込んできました。当時は、一生続けたいという気持ちだけで、何をどうしたらいいのか分かりませんでしたから、とにかくそのメールに気持ちをぶつけました。その後、梅村さんの主催するビジネスセミナーや合宿に参加して学んだことは、本当に今の活動に活きています」

そのセミナーで学んだことこそが、「お金を生む仕組みの重要性」であり、「指導だけでなく、いい商品を作り、それを多くの方に買っていただくこともフィットネス」という考え方。運動指導者を目指してこの業についた高橋さんにとって、運動指導以外の商品づくりや、それを買って貰うことにそれまで違和感を感じていたが、梅村さんのセミナーを通じて、考え方が変わった。

「イベントに有料で参加していただく、そこでTシャツやDVD、リストバンドなどを販売する。以前はそうした活動には抵抗を感じていたのですが、セミナーへの参加も、Tシャツもリストバンドも、『フィットネスと人を繋げるものとなり、モチベーションを高めるものになる』という話を聞いて、納得がいきました。この時に、これを学んでいたこと、その後フリーとして自分なりにそうした活動を始めていたことで、震災復興のチャリティイベントや、支援金の集め方もすぐに発想でき、行動にうつすことができました」

インストラクターの形を多様化したい

震災後、高橋さんは『FITーR』と名付けてスタートしていた活動を、改めて明文化した。『FITーR』とは、『Fitness Revolution』の略。運動指導者として、一人の職業人として新しい価値を創出することで、一般生活者の運動に対する価値観を高めることが、将来のフィットネス人口の拡大に繋がると考えている。そのために、「仕事を待つのではなく、創る」、「指導技術だけでなく、お金を生み続ける仕組みも磨く」、「被災者支援活動を、必要がなくなるまで継続する」と、『FITーR』の意味と活動コンセプトがまとめられている。

「今後も、特に個人事業主の方々のロールモデルになれるように、実績を出し続けていきたいと思っています。そして50代、60代になっても、インストラクターになりたいと思う人が増えるような活動をしていきたいです。今実際に私のレッスンには70〜80歳の方々も参加してくださっています。ということは、その年齢になってもレッスンができるということです。一生現場に携わりながら、お金を生み続ける仕組みづくりの腕も磨いて、インストラクターの活動の場を広げることにも、さらに取り組んでいきたいと思います」

NOBU高橋さん Nobu Takahashi
仙台大学在学中から、スイミングインストラクター、フィットネスクラブのアルバイトをは
じめ、養成コースを経てエアロビクスインストラクターとなる。セントラルスポーツ用賀店、仙台店などでのスタジオ担当を経て、26歳でフリーに。仙台を中心に活動していたが、震災をきっかけに地元秋田と仙台を行き来しながら活動を続けている。

受賞理由
東日本大震災で、自身が被災者の一人でありながら、すぐに復興活動に立ち上がり、10本以上のチャリティイベントに加え、宮城県岩沼市の『仮設住宅での健康運動サロン』など長期的な視野に立った活動を継続している。東北地区に男性インストラクターが少ない中、インストラクターを一生の仕事にできる方法を考え、実行に移し、実績を上げていることが評価された。

Must Item
スーツ&黒髪
週3~4回はスーツ出勤。あえて自分で選択している。信頼が早い段階で得られやすく、仕事の話を受けやすい。
ブログ&フェイスブック
地方のインストラクターとして、情報発信に最適なアイテム。震災発生時の情報共有にも役に立った。

写真
①FIT-Rが運営する宮城県岩沼市の『健康運動サロン』今後も支援金により運営を続ける

②被災した方に何かできないかと、市の職員とも協力して開催

③支援物資を運んでくださったボランティア団体の皆様

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