掲載日:2021年08月08日  更新:2021年08月22日

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History まずはここから!フィットネス業界の歴史

業界の歴史について深く調べるのはなかなか難しいもの。
日本での歴史を総ざらいしてみよう!

エアロビクスの提唱者ケネス・クーパー。
1981年来日、ブームを起こす

黎明期 1960~1970年代

日本のフィットネスクラブの起こりは1964年の東京オリンピック後に水泳の選手や指導者によって個別に行われるようになった「スイミング指導」にある。現在国内売上高最大手のコナミスポーツ&ライフや、2番手のセントラルスポーツをはじめ、多くの企業がスイミングスクールから事業をスタートさせている。

69年にまずセントラルスポーツが「子どもたちに水泳を教えて将来の金メダリストをつくる」という志のもと設立された。同社はそのなかで運営受託というモデルを考え出し、運営施設を増やしていった。

後を追うように、71年にはダイエーレジャーランド(ダイエーオリンピックスポーツクラブの前身・現コナミスポーツ&ライフ・以下、DOSC)が、73年には日本体育施設運営(現スポーツクラブNAS・以下、NAS)が、74年にはピープル(コナミスポーツクラブの前身)がそれぞれスイミングスクール1号店をオープンし、76年にはセントラルスポーツも自社所有のスイミングスクール施設を開設、これらの先行企業を中心にスイミングスクール業界は急速に拡大していくことになる。同時に、日本には一連のスポーツブームが起こっていた。多くは米国の文化にならったものであり、ジョギング、ジャズダンス、テニスと続いた。この流れから、ディックルネサンス(ルネサンスの前身・以下、ルネサンス)はこの時期(79年)テニススクールから事業をスタートさせている。

成長期 1980年代前半

81年には“エアロビクス”という言葉が広がり、若い女性を中心にエアロビクス(ダンス)ブームが起こった。これらを1つのクラブに統合し、日本ではじめて「フィットネスクラブ」の名を冠して開業したのが83年セントラルスポーツの「ウィルセントラルフィットネスクラブ新橋」であった。また同年、ピープルも「エグザス」ブランドで、スタジオ・ジムタイプのクラブを東京・青山にオープンさせた。このとき「入会金1万円・月会費1万円・利用料なし」という現在のクラブの料金システムの原型がつくられた。

発展期 1980年代後半

80年代後半に入ると、日本経済は「バブル」の兆候を見せ始めた。80年代最後の3年間には年間200軒を超える総合型のクラブがオープンし、フィットネス業界史上最大の成長期を迎えた。

当時は、スイミングスクールが少子化の影響を受け始めていた時期でもあった。そのためスイミングスクール業界で先行していた大手3社の、ピープル、セントラルスポーツ、NASは、既存のスイミングプールにジムとスタジオを付け加えるなどして、成人も集客できる総合フィットネスクラブへと業態転換を図っていった。またこの頃、業界の成長度と健康的なイメージの良さから異業種の大手企業の参入も加速。サントリーが87年にティップネス1号店を渋谷にオープンさせている(現在は日本テレビ傘下)。翌年の88年は史上最高の年間新規開設施設数、224軒を記録した。

しかし、バブル経済が崩壊すると、深刻な景気低迷で一般消費者の財布の紐が固くなり、各クラブは入会者を減らし収入も縮小均衡となっていった。

調整期 1990年代前半

だが、そうした傾向を敏感に読み取り、いち早く低成長、低消費の時代にマッチしたクラブ開発・運営手法をとる企業も現れていた。ルネサンスは「ロー・コスト建築(経営)」の手法をつくり、この時期以降はほぼすべてのクラブがこの方法を採用することになる。

だが、バブル経済崩壊後の消費の冷え込み、入会者減は業界各社の予想を超えるものであった。すべてのクラブが生き残りをかけてコスト削減に取り組むとともに、入会者を増やすための営業とプロモーションを強化した。クラブにとって主要なコストは3つであり、人件費(当時の売上高比27%)、家賃(同20%)、水道光熱費(同13%)で約6割を占めていた。社員をパート・アルバイトスタッフに変え、水道光熱費を削減するさまざまな取り組みが進められた。売り上げを高めるプロモーション手法としては、入会金の割り引きが一気に広がった。退会率も徐々に高まり、消費が一層低迷するなか、入会金をオフしないと「新規入会がとれない、それは赤字転落を意味する」との焦りが、そういう状況を生んだともいえる。

2000年代、パーソナルトレーナーがクラブに導入され始めた頃のプロモーション

今ではMOSSAなどのプレコリオプログラムがすっかり定着してきている

復調期 1990年代後半


そうした状況下、ピープルが月会費の見直しに着手した。それまで一律だった月会費を主に施設規模に合わせて見直した。元々クラブ経営の重要なポイントは、立地・施設・料金の主要3要素を地域の顧客ニーズに合致させることにある。同社はそれをクラブごとに精緻に整えたのだった。同社は、ジム・スタジオタイプの小規模クラブを月会費4千円というそれまでの業界平均の半額で売り出した。これは振り返ると一時ではあったが、需要を喚起した。さらにピープルは、ナイト会員・アクア会員・モーニング会員・ホリデー会員・アフタヌーン会員など、時間軸や空間軸で制限をもたせた会員種別をレギュラー会員の6~7割程度の価格で発売した。これにより施設稼働率が改善されるとともに、会員数が1千名以上増加するケースが続出、なかには会員数が2~3倍に達するクラブもあった。同手法では、客単価は下がるものの総売上高と利益が高まった。また営業時間を延長させたこともあって、施設稼働率がさらに高まり投資効率も高まっていった。これに加えて同社は、積極的にグループエクササイズを拡充させた。これも大きな成長要因となった。そうした様々なマーケティング策に大手企業は追随していった。しかし、変化対応しにくい独立系のクラブはなかなか同様の手法をとれず徐々に経営を悪化させていった。そうしたクラブを大手企業らが肩代わりし、施設をリニューアルして経営を再建していった。こうしてフィットネス業界大手企業は、長期に渡る不況にも関わらず、業績を伸ばすことに成功していく。この結果、日本の市場が二極化の傾向を強めていった。

90年代後半には、フィットネスをさらに広い消費者層にマーケティングしていこうとする業態開発が大手企業を中心に積極的に行われ始めていく。プールがない都市型施設や温浴施設やスパ、子ども向け施設を付帯した大型施設が展開された。

99年には、それまで下降傾向にあった客単価を引き上げようとの動きが見え始める。特に比較的安価であった時間軸・空間軸で制限を持たせた会員種別の価格を若干値上げしたり、有料プログラムや飲料の販売など付帯収入を高める動きが見えた。

再編期 2000~2001年

01年の対前年の市場規模伸び率は0.0%となる。そしてこれに続く02年のそれはマイナス2.0%と縮小してしまう。打つ手が見つけられないなか、各社は既存店のリノベーションや館内セールスの強化、体成分分析器導入によるカウンセリングの強化、新店では早期入会者への月会費の永久割引の提供などにより、新規入会者の獲得を目指した。

02年には、その後業界関係者の注目を集めるいくつかのクラブをベンチャー企業が開発している。また、00年からの業界再編の流れもそのまま続いた。

再復調期 2003~2006年

03年夏頃から新規店と一部の企業の既存店の業績が上向き始める。01年からの再調整期の間に打った策が奏功し、入会率、定着率、利用率、客単価が徐々に上昇していき、回復の道へと向かい出した。低体力者や疲労者が多くなり、リラクゼーション系のサービスを採り入れるクラブが増え始めたり、パーソナルトレーニングやダイエットプログラム、カルチャー系プログラムなど、個々のフィットネスニーズに対応するプログラムを採り入れるクラブが増えていった。そうしたなか、プログラム面ではティップネスが03年大々的にプロモーションをかけたヨガが大ヒットする。これにより、クラブ離れが目立っていた20~30歳代の女性層が再びクラブを利用することになった。また同年には、女性専用小規模サーキットトレーニングジムの日本1号店「Jサーキット苦楽園」ができている。同業態は、05年のベンチャーリンクによるカーブス1号店出店から急速に出店が増え、現在日本に約3千店弱が開業され、一部の総合クラブの集客(入会予算)に影響を与えるまでになっている。

市場規模は06年にそれまでの最高値となる4,072億円を記録。05年、06年と対前年でそれぞれ年率5~6%の成長を実現。

総施設数が増えるなか、成功するためには業態ごとにポジショニングを明確にすることが求められている(図1参照)。

また03年6月には「地方自治体の一部を改正する法律」が公布され、その中に「公の施設」の管理運営を民間市場に開放する「指定管理者」制度があり、民間クラブが競って各自治体へのアプローチを始めた。「多様化」と「成長」がこの4年間の業界を語るキーワードである。だが一方で、確実に競合環境は厳しさを増し、06年秋には個々の企業の収益力に陰りが見え始めていた。

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