掲載日:2021年08月25日  更新:2021年10月07日

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NEXT AWARD トレーナー・インストラクター オブ・ザ・イヤー2020

フィットネス・トレーニング指導者の活動範囲を広げ、広く業界と社会に貢献する活動を称えるネクストアワード『トレーナー・インストラクター・オブ・ザ・イヤー』2020の受賞者が決定!
フィットネス・トレーニング分野で高い価値を生み出している各受賞者の活動内容を紹介する。

⑥IMGアカデミーには世界からトップアスリートもトレーナーも集まっている。人が多く集まる場所ほど、情報も多い。

インストラクター部門 最優秀賞 中沢智治さん 株式会社パワーエイジング 代表取締役

2020年、長引くコロナ禍で、高齢者の健康不安が特に危惧された。そこに元気を届けたのが、日本最高齢フィットネスインストラクターの「タキミカ」さん。女性誌やテレビ番組を通じて、タキミカさんの笑顔と、若々しい姿勢と動きが、フィットネスを継続することの価値を広く伝えた。このタキミカさんのトレーナーであり、自身もインストラクターとして多くの人にフィットネスの価値を届ける中沢智治さんがインストラクター部門最優秀賞に輝いた。

届けたいメッセージを広く発信するために

フィットネスを通じて100歳まで力強く歳を重ねる「パワーエイジング」という生き方を啓発する中沢智治さん。世界から「あきらめた」「年だから」という言葉をなくすべく活動を続けている。これまでに多くの後進インストラクターを育成し、自身も現役インストラクターとして、レッスン参加者にも多大な影響を与えてきているが、2020年は、「タキミカ」さんという強力なパートナーの活躍をプロデュース。タキミカさんだからこそ届けられるメッセージを、広く発信した。

タキミカさんの本名は瀧島未香(たきしま・みか)さん。昭和6年生まれの現在90歳。65歳でフィットネスクラブに入会して以来、ほぼ毎日フィットネスを継続している。一般的には加齢とともに増加する入院歴、投薬歴、虫歯、入れ歯、肩痛、膝痛、腰痛まで、全くないばかりか、自身のために考案してきた「タキミカ体操」で、後ろ姿は20歳台を維持。「タキミカ体操」は関節可動域を維持するとともに、体幹を安定させて、複数面の動きを統合させる内容で、その姿勢と動きの美しさに、まさにフィットネスのロールモデルとなっている。

タキミカさんの魅力は2020年、数々のメディアを通じて広がり、インフルエンサーとしての活動にも繋がりつつある。本誌『月刊ネクスト』では、2019年11月に取材させていただいたが、その記事をきっかけに、女性誌『ゆうゆう』(主婦の友社)に2020年3月号に登場。記事「年齢にとらわれない生き方」が反響をよび、7月号に再登場。また『美ST』(光文社)の編集部の目にもとまり、5月号、9月号、10月号と3回登場している。この間、コロナ禍による緊急事態宣言で、中沢さんがゴールデンウィークに企画したオンラインセミナーをきっかけに、5月10日には「Yahoo!ニュース」にも登場。さらに、8月29日号の『女性セブン』(小学館)、9月11日には日本テレビ「おはよん」、10月13日号『週刊女性』(主婦と生活社)、11月10日には日本テレビ「スッキリ」と、次々にオファーが舞い込み、発信力は高まるばかり。

これだけ大きな反響に繋がったのは、「日本最高齢インストラクター」という肩書きももちろんあるが、それ以上に中沢さんが注目するのは、「インストラクターとしての、ずば抜けた資質」だという。

タキミカさんのインストラクターデビューは、3年前の87歳のとき。中沢さんがパーソナルで指導し始めてから8年が経ち、身体も絞れて「お客さまにしておくのはもったいない」と感じ始めていた。そこで、中沢さんがタキミカさんに内緒で、イベントレッスンを企画したことがきっかけとなっている。

タキミカさんは、中沢さんとトレーニングをするたびに、自分に有効だと感じたトレーニングメニューを自主トレプログラムにアレンジして、毎日復習。8年間のトレーニングのエッセンスが、45分間のプログラムに集約されていた。中沢さんは、その自主トレプログラムを、そのままレッスンにできると考え「タキミカ体操」と名づけて、インストラクターデビューの舞台を用意した。

タキミカさんの緊張しやすい性格も知っていたことから、中沢さんがタキミカさんにインストラクターに挑戦してもらうことを伝えたのは、イベント当日の朝。「絶対できますから」と背中を押して、ヘッドセットをつけ、スタジオに送り出した。

すると、タキミカさんの姿は、中沢さんの目も奪うことに。堂々としたリードと惹きつけるオーラ、そして、8年間実践してきているからこその説得力のある動きとトークに、驚きと笑顔でいっぱいのレッスンとなった。それは、中沢さんの期待をもはるかに超えていたという。レッスンが終わると参加者がタキミカさんにかけより「先生、楽しかった」とかけられる声に、タキミカさんの表情も一段と輝き、「新たな扉が開いた瞬間だった」と中沢さんは振り返る。

その後、月1回でレッスン指導も続けていたが、そこからタキミカさんのインストラクターとしての資質がさらに発揮されることになる。レッスンをするごとに、中沢さんが伝え方のアドバイスをすると、その部分のトークをブラッシュアップ。新しいセリフをカレンダーの裏に書いて、朝晩繰り返し練習する「超ウルトラスーパー努力家」。指導力もメキメキと上がっていった。

ところが、2020年に入るとコロナ禍で、スタジオレッスンは休止。ここから、タキミカさんのオンラインレッスンもスタートすることになる。既に高い指導力を備えていたタキミカさんのレッスンは、オンラインになったことで拡散力が増し、インフルエンサーとしての影響力も高まっていった。

ナンバーワンをモチベーションに

中沢さんは、数字の「1」が好きで、2020年に株式会社パワーエイジングを設立したのも、個人事業主として独立してから11年目の11月11日。現在3人の子どものパパでもあるが、プロポーズをしたのも、2011年11月11日だという。

「1」という数字をきっかけに、ステップアップをしてきている中沢さんだが、フィットネス業界の仕事との出会いは、決して順風満帆なものではなかったという。

中沢さんのフィットネスとの出会いは、大学生の頃。体育会バレー部主将として練習を積んでいたが、身体がガリガリなことにコンプレックスを抱いていた。ある日、同じ体育会のラグビー部とアメフト部で、ウェイトトレーニングを始めることになり、見様見真似で日々トレーニングを続けると、筋肉がつき、身体が変わってきた。すると気持ちも前向きになっていく。「トレーニングって、いいな」と感じた頃に就職活動が始まった。大学体育会のキャプテンといえば、都市銀行や大手金融業界から引く手あまたの中、中沢さんの「心のコンパス」は、フィットネス業界を指し、フィットネス業界最大手企業への就職を決めた。

ところが、最初に配属されたのは、郊外店のキッズプログラム担当。フィットネス業界で活躍することをイメージしていた仕事との環境の違いに、自暴自棄にさえなっていく。部署異動の希望を出すも応じられず、1年で退職。トレーニングを広げることを追求したかった中沢さんは、専門学校に通いながら、フィットネスクラブでアルバイトとして再スタートを切った。このアルバイトでの出会いが、その後の中沢さんの道を切り拓いていくことになる。

専門学校を卒業して、アルバイトトレーナーとして仕事をスタートしたのがメガロス。すでに25歳になっていた。ようやく自身がイメージしていたトレーニング指導のフィールドに就けて、生き生きと仕事をする中沢さんに、新店(吉祥寺店)のサブマネージャーのオファーが舞い込む。そして26歳で晴れて正社員に。中沢さんのトレーニングを広げる仕事への情熱とバイタリティが存分に発揮されていった。

サブマネージャーの主な役割に、トレーニング指導現場の体験価値を高めて、クラブメンバーの定着率を高めることがある。そこで中沢さんは、フィットネスを学びながら、仲間づくりもできる「青春学校」を企画。週1回決まった時間にフィットネスの座学とトレーニングクラスを提供。自身も白衣を着て、先生としてジム内につくった教壇に立ち、指導にあたった。このプログラムはクラブでも評判となり、『フィットネスビジネス』誌にも紹介されることになる。ここから中沢さんは業界でも注目される存在になっていく。

中沢さん自身は「30歳までに支配人」「35歳までに独立」を目標にしていたことから、支配人になることを目指して転職。アルバイト時代にお世話になったティップネスに、宮崎台店副支配人として入社した。ここでも「ナンバーワン」好きが功を奏して、29歳のときに、最年少支配人となり、全店ナンバーワンの実績を達成した。

その後、同社商品部としてプログラム開発に携わった後に、34歳で個人事業主として独立。自身の目標を、着実に達成していった。

心を動かしてから、身体を動かす

中沢さんが、個人事業主として独立するきっかけも「1」が関係している。MOSSAを展開するブラボーグループから、「日本で一人目のナショナルトレーナーにならないか」とのオファーだった。

MOSSAのナショナルトレーナーになってから数年は、ひたすらスタジオでの指導に磨きをかける日々となる。MOSSAは、プレコリオプログラムとして世界最高レベルのインストラクターたちのスタジオレッスン指導ノウハウが活かされており、ナショナルトレーナーの仕事は、その指導ノウハウを日本の指導者たちに指導する立場。MOSSA導入クラブが続々と増える中、中沢さんは全国のクラブを飛び回り、インストラクターたちにその神髄を伝えていった。研修を終えてMOSSAが導入されるごとに、日本地図のそのクラブの所在地に赤いピンをうち、そのピンが増えていくことを励みに研修を続け、導入数は2年で200店舗へと増えていった。徐々に日本にナショナルトレーナーも育ち、現在では、ナショナルトレーナー12名、MOSSAインストラクターは3,000名まで増えている。

クラブ支配人、プログラム開発、グループインストラクター育成で実績を出してきている中沢さんには、運営コンサルティングやスタッフ研修などの依頼も多く、そこでもインストラクターとしての指導が活きるという。中沢さんがどんな指導場面でも共通して行っているのが、「身体を動かす前に、感情(心)を動かす」こと。レッスンでは、おでこをなでると、体前屈がラクにできるようになることを体感してもらいながら筋膜が全身に繋がっていることを説明したり、スタッフ研修ではさまざまなアイスブレークのネタを使って、まず気持ちを動かすことから始める。そうすることにより身体も動きやすくなり、動くことが楽しいと感じられるからだ。

今、タキミカさんと活動を続けるのも、タキミカさんが、誰より人の気持ちを動かせるから。タキミカさんに寄せられるメッセージには、自殺を思いとどまったという内容のものも少なくないという。

「私自身もタキミカさんのように一生動き続けて、世界中から『諦めた』という言葉をなくすことを目指します。当面はタキミカさんと47都道府県をまわって、タキミカさんのパワーを直接届けに行きたいです。あと30年も経てば、私もタキミカさんの年代。そこからは『ナカトモ』として、変わらぬパワーを一人でも多くの方に届け続けたいです」

中沢智治さん Tomoharu Nakazawa(写真右)
株式会社パワーエイジング代表取締役
大手フィットネスクラブ3社8店舗(コナミスポーツ・メガロス・ティップネス)に勤務経験があり、アルバイト・一般社員・セクションマネジャー・副支配人・支配人・本部グループエクササイズプログラム開発責任者を歴任した『マルチキャリア』。インストラクターとしての集客力、支配人としての業績ともにトップを維持。2009年日本初のMOSSAナショナルトレーナーとして、個人事業主となり、インストラクターの指導や、フィットネスクラブの各種コンサルティングに携わる。2020年「株式会社パワーエイジング」を設立し、フィットネスの力を通じて100歳まで力強く歳を重ねる「パワーエイジング!」という生き方を提唱している。

MUST ITEM
毎日、使用しているセルフケアツールです。心から尊敬しているMOSSAインターナショナルプレゼンターの「マイク」から貰った「リストバンド」が私のお守りです。

写真
①8年間のパーソナルトレーニングを通じて「お客さまにしておくのはもったいない」と、タキミカインストラクターをプロデュース。

②数字の「1」が好きで、日本で一人目のMOSSAナショナルトレーナーとしての活動で、独立。多くの後進インストラクターと参加者たちに影響を与えている。

プログラムディレクター部門 最優秀賞 佐藤博紀さん TEN~the Space for your Life & Body~ 代表

2020年は、長引くコロナ禍での外出自粛により、心身に変調をきたした人が急増した。運動不足を感じる人も増え、運動療法への情報ニーズも高まった年となった。その運動療法と手技療法を用いるための評価法として治療家やトレーナーの間で注目されているIntegrative Movement Assessment & Conditioning(IMAC)。可動域と内臓、経絡の関係をひもとき、痛みや不調の根本的な原因をみつけるとともに、動きや手技などを用いてそれを解決に導いていくためのシステムである。同メソッドを開発した佐藤博紀さんが、プログラムディレクターオブザイヤーに輝いた。

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