掲載日:2021年08月24日  更新:2021年10月07日

NEW

NEXT AWARD トレーナー・インストラクター オブ・ザ・イヤー 2019

フィットネス・トレーニング指導者の活動範囲を広げ、広く業界と社会に貢献する活動を称えるネクストアワード『トレーナー・インストラクター・オブ・ザ・イヤー』2019の受賞者が決定!
フィットネス・トレーニング分野で高い価値を生み出している各受賞者の活動内容を紹介する。

③就職先斡旋ではなく、パーソナルジムの独立開業までをサポートする「ボディコンサルタント養成スクール」


群さんのこれまでの仕事人生グラフ

インストラクター部門 最優秀賞 小林実登さん 株式会社D-Revolutions フィットネス事業部 トッププレゼンター

ルーキーコンテストにおいて2回の準優勝を経て、満を持して臨んだ2019年の大会でまさかの二次審査敗退。その経験をバネに、2020年1月フランスで開催された世界大会にあたる
「トータルフリースタイルトロフィー」コンテストにおいて見事優勝を勝ち取った小林実登さん。その真摯なチャレンジと、世界が認めた実力で、インストラクター部門最優秀賞に輝いた。

コンテスト出場15回目、悲願の優勝

2019年11月のルーキーコンテストにおける小林実登さんの二次敗退は、関係者や参加者にとっても、晴天の霹靂ともいえる出来事に映った。これまでルーキーコンテストで2回準優勝を果たし、国内外でプレゼンターとして活躍を続ける実力は誰もが認めていたが、運を味方にすることができなかった。

それでも小林さんは間もなく気持ちを切り替え、その2ヶ月後、パリで開催されたルーキーコンテスト世界大会として位置づけられる「トータルフリースタイルトロフィー」の表彰式で、一番高い台の上に立っていた。

23歳で初めてコンテストに出場してから、通算15回目のチャレンジで、世界最高峰に立た小林さん。「フランス大会で優勝が決まった瞬間、“悲願の優勝”に泣くと思っていたものの、全然涙は出なかった」と振り返る。それまで幾度となく流した悔し涙から解放された、最高の瞬間だったに違いない。

全国のイベントに呼ばれるプレゼンターを目指して


小林さんは長野県出身。小さい頃から運動が好きで、将来運動にかかわる仕事に就きたいと、地元にある松本大学人間健康学部スポーツ健康学科に進んだ。大学時代にアルバイトとしてトレーナー活動をスタートし、ショートレッスンも担当するようになると、その面白さに惹かれてインストラクターを目指すようになる。そして大学3年生の時、同じく長野で活動する鈴木雅子インストラクターが主宰するエアロビクス養成コースに通い始めた。

アルバイト先で初級エアロのレッスンを担当し始めた頃、鈴木インストラクターが月1回オーガナイズするイベントに、岩橋悠太さんが出演。小林さんは、そのカッコ良さに魅了され、「岩橋さんのように、全国を周るインストラクターになりたい」と、大学卒業後もフリーインストラクターとして活動することを決めたという。

そう決心して間もなく開催されたルーキーコンテスト。“全国を周るインストラクター”への足がかりとして、23歳で初出場。だが、一次予選のエアロビクスマラソンで、サルバトーレの複雑なコリオについていけず棒立ちに。世界で活躍するプレゼンターのレベルの高さに打ちひしがれながらも、その後、日本のプレゼンターが集まるイベントに足しげく参加を続けた。

日本のプレゼンターとのネットワークもでき始め、間もなく県外のイベントにも呼ばれるようになっていく。初めて県外のイベントに招聘されたのは、24歳になったばかりの頃、愛知でのイベントだった。時をほぼ同じくして開催されたダンスフィットネスコンテストで、初めて一次審査を通過。それをきっかけに、イベントプレゼンターとしてのオファーが増えていった。この年、フランスの世界大会にも初チャレンジ。一次審査は通過ならずも、世界を周るインストラクターに向け、大きな一歩を踏み出した。

ここから小林さんの快進撃が始まる。25歳のときのダンスフィットネスコンテストで9位入賞に続いて、ルーキーコンテストで準優勝。その翌年のルーキーコンテストでは3位、その翌年は準優勝と、ファイナル審査進出の常連メンバーになっていく。この頃には、日本各地で開催されるイベントでも常連プレゼンターとなり、その仲間の中で最年少として一目置かれる存在になっていた。

その活躍は、小林さんがデビュー当時に憧れた岩橋さんの目にも留まり、岩橋さんが取締役を務める株式会社D-Revolutionsへの入社を打診する連絡が入った。当時、地元長野で後進育成も始めていたが、活動をより広げていくことを目指して、間もなく活動拠点を大阪に移し、社員としての業務と、プレゼンターとしての業務を兼務する働き方をスタートさせた。

ここから活動の幅も広がっていった。同社が運営するサロンでのパーソナルトレーナーとしての仕事も増え、その傍ら2019年5月には2週間イタリアに渡り、ローマ、フィレンツェ、リミニなどでレッスンツアーを経験。リミニコンベンションでは、世界のプレゼンターたちも憧れる「クルージーン」のステージに、アジア人で初めて立つという貴重なチャンスも得た。

チャレンジを恐れず、対応力を磨く

今では世界のトッププレゼンターの一人として、世界を周るインストラクターとなった小林さん。当初思い描いた「日本を周るインストラクター」を超える夢を実現するに至った要因について、小林さんが挙げるのは、「人との対応力を高めること」と「チャレンジを恐れないこと」。

人との対応力については、現在所属するD-Revolutionsの上司としても慕う岩橋さんの影響が大きいという。プレゼンターとして、イベントに参加してくださる方々、関係者の方々への挨拶や感謝の気持ちを丁寧に伝える姿に「自分もそうありたい」と思い続け、実践してきた。

また、同社代表の魚原大さんからも、折に触れて心が震えるコメントをもらっていると話す。2019年のルーキーコンテストで二次審査敗退したときも、LINEで魚原さんから届いたコメントに、心を強くしたと振り返る。「ファイナルに行けなかったことは残念だったけれど、実登は決勝に進出する5人を応援できる器のデカさを持っているから」と。小林さんは涙を拭き、ファイナルに進出する一人ひとりに声をかけて、最後のステージに送り出した。

レギュラーレッスンでの、参加者とのコミュニケーションも大切にしている。毎回、参加者一人ひとり、全員とコミュニケーションをとり、言葉や、目線、手ぶりからのメッセージが伝わっているかを確認する。また、事前にレッスンの流れやコリオを決め過ぎず、参加者の反応に応えながらライブ感を高める力も磨いてきた。小林さんは2019年のルーキー大会では、レッスンの流れを決め過ぎていたことも敗因の一つと分析している。その反省から2020年のフランス大会では、このライブ感を優先できるように準備して本番に臨んだという。結果、会場の雰囲気とぴたりとハマり、ファイナル審査では会場が最高の盛り上がりに包まれた。審査結果も2位に大きく点差をつけての完全優勝となった。

小林さんは、フランス大会優勝後、自身のブログに、チャレンジすることの貴重さを改めて綴っている。コンテストに出ることも、海外に行くことも、「自分にはできない」と躊躇する人も多い。でも、たとえ失敗しても、挑戦するごとに自分の世界が広がることを実感してきた。

小林さんは、「今後も一生レッスンを続けて、人に笑顔と感動を届け続けること」を目指してチャレンジを続ける。また、ICTを活用したレッスンやコミュニティづくりも目指している。2020年からは、世界を周るプレゼンターとしての仕事も本格化する。
小林さんの世界は広がるばかりだ。

小林実登さん Minori Kobayashi
株式会社 D-Revolutions
フィットネス事業部 トッププレゼンター
2013年から長野を中心にフリーインストラクターとして活動を開始。「心と身体をリンクさせる」をモットーに、コンディショニングを取り入れたエアビクスサークル活動にも力を入れる一方で、プレゼンターとして全国のダンスフィットネスイベントで活躍。2018年10月から株式会社D-Revolutionsクルーとして拠点を大阪に移し活動中。資格に、健康運動指導士、NSCA JCTなど。
MUST ITEM
自身の身体のセルフケアグッズ
いいパフォーマンスには欠かせません

写真
①イベントの企画・運営
沢山の方々にご参加いただきました!

②イタリアCRUISIN’ステージ
海外の舞台も経験

65 件中 21-40

新着

同じカテゴリの記事