掲載日:2021年08月08日  更新:2023年12月05日

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【History】まずはここから!フィットネス業界の歴史

業界の歴史について深く調べるのはなかなか難しいもの。
日本での歴史を総ざらいしてみよう!

エアロビクスの提唱者ケネス・クーパー。
1981年来日、ブームを起こす

黎明期 1960~1970年代

日本のフィットネスクラブの起こりは1964年の東京オリンピック後に水泳の選手や指導者によって個別に行われるようになった「スイミング指導」にある。現在国内売上高最大手のコナミスポーツ&ライフや、2番手のセントラルスポーツをはじめ、多くの企業がスイミングスクールから事業をスタートさせている。

スイミング指導から始まる日本のフィットネスクラブの起こりと発展

69年にまずセントラルスポーツが「子どもたちに水泳を教えて将来の金メダリストをつくる」という志のもと設立された。同社はそのなかで運営受託というモデルを考え出し、運営施設を増やしていった。

後を追うように、71年にはダイエーレジャーランド(ダイエーオリンピックスポーツクラブの前身・現コナミスポーツ&ライフ・以下、DOSC)が、73年には日本体育施設運営(現スポーツクラブNAS・以下、NAS)が、74年にはピープル(コナミスポーツクラブの前身)がそれぞれスイミングスクール1号店をオープンし、76年にはセントラルスポーツも自社所有のスイミングスクール施設を開設、これらの先行企業を中心にスイミングスクール業界は急速に拡大していくことになる。同時に、日本には一連のスポーツブームが起こっていた。多くは米国の文化にならったものであり、ジョギング、ジャズダンス、テニスと続いた。この流れから、ディックルネサンス(ルネサンスの前身・以下、ルネサンス)はこの時期(79年)テニススクールから事業をスタートさせている。

成長期 1980年代前半

エアロビクスブームから生まれた新しいライフスタイル

81年には“エアロビクス”という言葉が広がり、若い女性を中心にエアロビクス(ダンス)ブームが起こった。これらを1つのクラブに統合し、日本ではじめて「フィットネスクラブ」の名を冠して開業したのが83年セントラルスポーツの「ウィルセントラルフィットネスクラブ新橋」であった。また同年、ピープルも「エグザス」ブランドで、スタジオ・ジムタイプのクラブを東京・青山にオープンさせた。このとき「入会金1万円・月会費1万円・利用料なし」という現在のクラブの料金システムの原型がつくられた。

発展期 1980年代後半

80年代後半に入ると、日本経済は「バブル」の兆候を見せ始めた。80年代最後の3年間には年間200軒を超える総合型のクラブがオープンし、フィットネス業界史上最大の成長期を迎えた。

スイミングスクールの衰退

当時は、スイミングスクールが少子化の影響を受け始めていた時期でもあった。そのためスイミングスクール業界で先行していた大手3社の、ピープル、セントラルスポーツ、NASは、既存のスイミングプールにジムとスタジオを付け加えるなどして、成人も集客できる総合フィットネスクラブへと業態転換を図っていった。またこの頃、業界の成長度と健康的なイメージの良さから異業種の大手企業の参入も加速。サントリーが87年にティップネス1号店を渋谷にオープンさせている(現在は日本テレビ傘下)。翌年の88年は史上最高の年間新規開設施設数、224軒を記録した。

しかし、バブル経済が崩壊すると、深刻な景気低迷で一般消費者の財布の紐が固くなり、各クラブは入会者を減らし収入も縮小均衡となっていった。

調整期 1990年代前半

だが、そうした傾向を敏感に読み取り、いち早く低成長、低消費の時代にマッチしたクラブ開発・運営手法をとる企業も現れていた。ルネサンスは「ロー・コスト建築(経営)」の手法をつくり、この時期以降はほぼすべてのクラブがこの方法を採用することになる。

バブル経済崩壊後の課題と取り組み

だが、バブル経済崩壊後の消費の冷え込み、入会者減は業界各社の予想を超えるものであった。すべてのクラブが生き残りをかけてコスト削減に取り組むとともに、入会者を増やすための営業とプロモーションを強化した。クラブにとって主要なコストは3つであり、人件費(当時の売上高比27%)、家賃(同20%)、水道光熱費(同13%)で約6割を占めていた。社員をパート・アルバイトスタッフに変え、水道光熱費を削減するさまざまな取り組みが進められた。売り上げを高めるプロモーション手法としては、入会金の割り引きが一気に広がった。退会率も徐々に高まり、消費が一層低迷するなか、入会金をオフしないと「新規入会がとれない、それは赤字転落を意味する」との焦りが、そういう状況を生んだともいえる。

2000年代、パーソナルトレーナーがクラブに導入され始めた頃のプロモーション

今ではMOSSAなどのプレコリオプログラムがすっかり定着してきている

復調期 1990年代後半

そうした状況下、ピープルが月会費の見直しに着手した。それまで一律だった月会費を主に施設規模に合わせて見直した。元々クラブ経営の重要なポイントは、立地・施設・料金の主要3要素を地域の顧客ニーズに合致させることにある。同社はそれをクラブごとに精緻に整えたのだった。同社は、ジム・スタジオタイプの小規模クラブを月会費4千円というそれまでの業界平均の半額で売り出した。これは振り返ると一時ではあったが、需要を喚起した。

ピープルの画期的な戦略

さらにピープルは、ナイト会員・アクア会員・モーニング会員・ホリデー会員・アフタヌーン会員など、時間軸や空間軸で制限をもたせた会員種別をレギュラー会員の6~7割程度の価格で発売した。これにより施設稼働率が改善されるとともに、会員数が1千名以上増加するケースが続出、なかには会員数が2~3倍に達するクラブもあった。同手法では、客単価は下がるものの総売上高と利益が高まった。また営業時間を延長させたこともあって、施設稼働率がさらに高まり投資効率も高まっていった。これに加えて同社は、積極的にグループエクササイズを拡充させた。これも大きな成長要因となった。そうした様々なマーケティング策に大手企業は追随していった。しかし、変化対応しにくい独立系のクラブはなかなか同様の手法をとれず徐々に経営を悪化させていった。そうしたクラブを大手企業らが肩代わりし、施設をリニューアルして経営を再建していった。こうしてフィットネス業界大手企業は、長期に渡る不況にも関わらず、業績を伸ばすことに成功していく。この結果、日本の市場が二極化の傾向を強めていった。

大型施設を付帯した新たな業態開発に着手

90年代後半には、フィットネスをさらに広い消費者層にマーケティングしていこうとする業態開発が大手企業を中心に積極的に行われ始めていく。プールがない都市型施設や温浴施設やスパ、子ども向け施設を付帯した大型施設が展開された。

99年には、それまで下降傾向にあった客単価を引き上げようとの動きが見え始める。特に比較的安価であった時間軸・空間軸で制限を持たせた会員種別の価格を若干値上げしたり、有料プログラムや飲料の販売など付帯収入を高める動きが見えた。

再編期 2000~2001年

01年の対前年の市場規模伸び率は0.0%となる。そしてこれに続く02年のそれはマイナス2.0%と縮小してしまう。打つ手が見つけられないなか、各社は既存店のリノベーションや館内セールスの強化、体成分分析器導入によるカウンセリングの強化、新店では早期入会者への月会費の永久割引の提供などにより、新規入会者の獲得を目指した。

02年には、その後業界関係者の注目を集めるいくつかのクラブをベンチャー企業が開発している。また、00年からの業界再編の流れもそのまま続いた。

再復調期 2003~2006年

03年夏頃から新規店と一部の企業の既存店の業績が上向き始める。01年からの再調整期の間に打った策が奏功し、入会率、定着率、利用率、客単価が徐々に上昇していき、回復の道へと向かい出した。低体力者や疲労者が多くなり、リラクゼーション系のサービスを採り入れるクラブが増え始めたり、パーソナルトレーニングやダイエットプログラム、カルチャー系プログラムなど、個々のフィットネスニーズに対応するプログラムを採り入れるクラブが増えていった。

図 1:業態別ポジショニング

00年代後半、「ビリーズブートキャンプ」や「コアリズム」などエクササイズDVDが流行した
cコアリズム(2008)/エクサボディ

第三次調整期 2007~2011年前半

フィットネスクラブの市場規模は06年をピークに07年から減少。上場大手企業の09年度の経常利益は5年前と比べると半分以下の水準まで落ちた。

景気の低迷とライフスタイルの変化による影響

その外的要因としては、以下の4点が考えられた。①景気の低迷と消費の選択肢の広がり:景気が低迷する一方、消費の選択肢は広がっている。ケータイや生活用品等への消費は多くなってきているが、美容・健康関連への消費は縮小してきているうえ、フィットネスクラブの機能の一部を代替するような商品サービスがいくつも登場してきてボーダレスの競争状態となりつつある。②ライフスタイルと消費行動の変化:今の若手層は仕事で忙しく疲れているにもかかわらず、収入も少ないため、スポーツにも消極的になってきている。③業態の多様化と専門店の台頭:フィットネス・スポーツ関連施設が多様化し、さらに専門店化してきている。④競合から競争へのステージの変化:1ヶ所にクラブが集中し過ぎたことで、これまでバランス良く競合していたものが、激しい競争になっている。

また内的要因としては以下の4点が考えられた。①戦略構築力の弱さ:経営者または経営幹部のビジネスモデル構築力が弱くなっている。また、そのベースとなる起業家精神も衰えてきている。②価値強化力の弱さ:市場の変化に対応したマーケティングをし、組織能力を高め、それと同期して顧客価値を高めていく力が弱い。③価値伝達力の弱さ:効果と効率を両立した新たなプロモーション手法の確立にチャレンジしていない。④顧客創出力の弱さ:顧客が満足し、喜んでお金を払うアイテム・サービス・システムの開発やフィットネス参加者を増やす効果がある分野の開拓などへのチャレンジが甘い。

安定期 2011年後半~現在

11年から各社がそれぞれ既述した外的要因・内的要因を意識し業績回復策を模索し始めた。その鍵は、既存店においては基本に立ち直り「顧客」が満足する価値をどのようにつくるかであり、新規店においては革新的な業態を創造し、いかにその価値を伝えるかにあった。この間、主に総合型のクラブを展開してきた既存大手プレイヤーはスクールへの注力と成人会員の定着促進、新業態による特定の層の取り組みなどにより、一部を除いて業績を安定化させている。一方、主に小規模目的型のジムやスタジオを経営する新規事業者にも勢いがあり、出店数を伸ばしている。

コロナ禍はあったが、中長期的には成長市場となるだろう。その根拠は、若き情熱ある起業家が台頭しイノベイティブな業態・サービスを創造しつつあるからである。

2010年代から、マイクロジムが増え始める

一目でわかるフィットネス業界史

’60S

東京オリンピック(64)
・民間スイミングクラブ登場(65)
・セントラルスポーツ株式会社設立(69)

’70S

ジョギングブーム
ダンスブーム/テニスブーム
・ダイエーレジャーランド1号店オープン(71)
・ドゥ・スポーツプラザ晴海(総合スポーツクラブ1号店)オープン(72)
・NAS1号店「NAS花畑」オープン(72)
・ピープル1号店「西宮ピープル」オープン(74)
・セントラルスポーツ1号店「セントラルスイムクラブ千葉」オープン(76)
・株式会社ピープル設立(78)
・株式会社ルネサンス企画設立(79)

’80S

少子化/バブル経済
エアロビクスブームスイミングスクールブーム
スキーブーム/ゴルフブーム
・クラブ大型化・一般化
・法人によるフィットネス利用拡大
・「ユナイテッドスポーツクラブエグザス青山」オープン(83)
・「セントラルフィットネスクラブ新橋」オープン(83)
・郊外に大型クラブが増加
・スイミングからフィットネスクラブへの業態転換
・都心で高額クラブが増加
・年間200店舗以上開業する新設ラッシュ
・ティップネス1号店「ティップネス渋谷」オープン(87)

’90S

バブル崩壊(91)
保険制度改定(97)
・赤字クラブ続出、新規オープン激減
・ローコストオペレーション
・「入会金0円キャンペーン」隆盛
・時間軸・空間軸による新会員種別設置
・営業時間の延長
・プログラムの「短・多・単」化
・営業・販売の強化
・客単価減、会員数増、売上増、利益微増
・フィットネスクラブ経営企業二極化の進展
・ピープル、店頭公開(96)
・ピープル東証二部上場(99)
・「セントラルウェルネスクラブ」1号店オープン(99)

’00S

ITバブル崩壊
「ビリーズブートキャンプ」日本発売
「WiiSports」「WiiFit」発売ランニングブーム
「コアリズム」大ヒット
特定検診・特定保健指導
リーマン・ショック
・ピープル、東証一部上場
・民間と競合する公的施設の新設・増設の禁止
・コナミスポーツがダイエーオリンピックスポーツクラブ68店舗を買収
・ヨガブーム
・ルネサンス、ジャスダック上場
・東祥、ジャスダック上場
・セントラルスポーツ、東証一部上場
・ルネサンス、東証二部上場
・市場規模4千億円台へ
・ベンチャーリンク、カーブスと独占ライセンス契約を締結
・大和ハウス工業がNASを買収
・コナミスポーツ、コナミの完全子会社化
・ビクラムヨガ1号店が銀座にオープン
・ルネサンス東証一部上場・小規模サーキットトレーニングジムが1千軒突破
・メガロス、ジャスダック上場
・ルネサンスとリーヴ・スポーツが合併
・コシダカ、カーブスジャパンを子会社化
・「90分会員」「月4会員」などの導入進む

’11S

JASRAC管理の音楽著作物の利用許諾開始
東日本大震災発生
・カーブス、1,000店舗達成

’13S

政府発表の成長戦略で「健康寿命の延伸」が柱のひとつに
夏季東京オリンピック・パラリンピック開催決定

’17S

健康経営、広がる
糖尿病、初の1,000万人超え

’18S

フィットネスクラブ経営企業の収入高合計、過去10年で最高
健康増進型保険 住友生命「Vitality」発売開始

’19S

・24時間ジム1,000軒超え
・カーブス2,000軒超え

’20S

・新型コロナウイルス禍