掲載日:2021年06月18日  更新:2021年10月07日

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NEXT AWARD トレーナー・インストラクター オブ・ザ・イヤー 2010

フィットネス業界の発展に力を注ぐ指導員を表彰する『トレーナー・インストラクター・オブ・ザ・イヤー』がついに決定!各受賞者およびその活動内容を一挙紹介。


「理想のレッスンを提供できるトレーニングスタジオを作りたい!」そんな思いで開設した恵比寿Mind_Bodyは2011年4月で丸6年。
現場でのレッスンを第一に行いながら、トレーナーの質と社会的地位の向上を目指す活動を並行して続けている。多岐に渡る知識と技術に貪欲な人物は、とても謙虚で実直な人物だった。

経営者でありながら現場にもこだわり続ける

パーソナルトレーニングスタジオ(加圧トレーニングスタジオ)の運営をしながら、月のレッスン数平均140件を維持し続ける鈴木謙太郎さんは、常に現場重視の姿勢を貫く。経営者としての顔、そしてトレーナーとしての顔。その二面性が職業としてこの仕事を確立させるのに、不可欠と考えるからだ。

「現場での業務に対して〝がんばっている〞と感じることはないです。自分でも身につけたい知識や技術もある。まだまだ発展途上です。だからレッスンはすべて楽しいと感じる。そう思えていれば、お客様にも楽しさは伝わるはずです」

お客さんの体が変化していく瞬間に立ち会えることが、何よりの喜びと語る鈴木さん。こなしたレッスン数こそ自信になり、自分を支えているのだという。

スタジオは今年4月で創業丸6年を迎える。健全な会社運営の影には、鈴木さんの努力が随所に詰め込まれている。

「個人で仕事をするのと、経営を両立させる事は決して楽ではありません。経営とはなんだろう?と根本的な事をよく考えました。また、皆で仕事をするにあたり、細かい報告・連絡・相談や挨拶の仕方等、嫌がられながらも細かく言い続けました。社内でできない事は、お客様にもできないからです。面倒で嫌な作業でも取り組めたのは、トレーナーを目指す者の仕事を確立したい!という強い思いから。それこそがモチベーションとなっているのだと思います」

実践的な理論に感銘を受けトレーナーの道へ進む

試行錯誤の中、鈴木さんは自身の経営方法を体得してきた。そんな彼自身がトレーナーという道を進むきっかけとなったのは、専門学校時代のこと。外部講師として授業に来た、阿部良仁さん(現NSCAジャパン事務局長)と岩間徹さん(現プロジェクト・オン代表取締役社長)との出会いだった。

「マンツーマンのトレーニング指導で対価を頂くパーソナルトレーナー。チームスポーツでの競技力アップのためのストレングスコーチ。双方を確立する姿に憧れました。より実践的な理論に、自分の疑問が次々クリアになり、虜になりました」

その後2人のアシスタントをしながらのバイト生活。同時にトレーナーの仕事と聞けば、無償でも次々に飛びつく日々。積極的に経験を積んでいった。ターニングポイントは突如訪れた代行セミナー。

「急遽依頼を受けたんです。阿部先生と岩間先生の話を聞きに来た方へのセミナーだったので、それはそれは緊張しました。とにかく一生懸命やりましたが、きっと粗だらけだったでしょうね。」

けれどそれを乗り越えたからこその今がある。

「私にとってトレーナーは天職です。お客様に指導をする、というよりパートナーとして技術と知識を提供していきたい。常に鮮度を落とさないように心がけています」

鈴木謙太郎(34)さん Kentaro Suzuki
株式会社Trainer’sMind 代表取締役 恵比寿Mind_Body代表。
「生活に溶け込むトレーニングライフの提案」をテーマにレッスンを思案、構築。高いリピートが特徴で82%以上のクライアントが1年以上レッスンを継続している。2010年8月までに3スタジオを展開。トレーナーという仕事を確立していく経営者としてのシビアな面も併せ持つ。

受賞理由
直営3店舗目となるジムをオープンさせながら、自身のパーソナルトレーナーとしての活動でも高い実績を維持していること、チームスポーツ指導や指導者対象の有料勉強会などを継続して行ってきていることなど、自主性が評価された。

MUST ITEM
iPad。これのおかげでホームページの確認やメールのチェックがレッスンの合間に行えます。毎日持ち歩き、お風呂にもカバーをつけて持ち込みます。

写真
①トレーナー養成の授業中。体験も交えつつ、できるだけ具体的に。

②トレーニングフォームは細かくチェック。お客様の身体が変化する瞬間に立ち会えることがうれしい。

鈴木さんのこれまでの仕事人生グラフ

インストラクター部門 最優秀賞 櫻井淳子さん

出産の不調から抜け出したいとピラティスに出会ったのは約6年前。心と体が元気になった体験をシェアしたいとインストラクターになり、2010年、沼津の地にフルイクイップメントを揃えた本格スタジオをオープンした。その行動力の源に迫る。

一生続けるには、仕事にするのが一番

「ピラティスを一生続けたい。一生続けるには仕事にするのが一番!」そう思ったのは、ピラティスを始めて10日目。「こんなふうに心も体も元気になれるものがあったんだ。このピラティスの素晴らしさを、みんなとシェアしたい」。その時既にインストラクターになることを決意していたという櫻井淳子さん。自身のスタジオをオープンすることを決めたのも、「ピラティスの素晴らしさをシェアできる場所をなくしたくない」と思ったから。それまでレッスンをしていた沼津のピラティススタジオが8月末で閉鎖されるというメールを受け取った2010年5月末日。一瞬震えるほどのショックを受けたものの、その瞬間いつもレッスンを楽しみにして下さっているお客様の顔が浮かび、9月にスタジオをオープンすることを決意した。寝ているご主人を叩き起こして、「やらせてください!」と頼んでいたという。

「その夜、早速カレンダーの大きな紙の裏に、スタジオオープンまでにやるべきことを、すごい勢いで書き出しました。『放課後の部室のように居心地がよく、専門的な勉強もできる場所』、といったコンセプトから、『プライベートレッスンと15人のグループレッスンが同時にでき、近くに駐車場があり、駅から徒歩15分以内、家賃は20万円以下』といった物件条件、『フルイクイップメントが使えて、将来は指導者の育成もできるスタジオ』と、ピラティスの環境条件に至るまで、とにかく思いつくままに書き出していきました」

これまでの通常業務に加え、育児や家事と並行してのスタジオ準備は想像を絶する忙しさだった。それでも、長年の研究職を通して「(開発)目標を立てたら、期限までに確実に成果を出す」というスタンスは身についていた。スタジオオープンまでのやるべき道のりをはっきりとストーリーとして頭に描きながら、全てを同時進行でコーディネートし、やり遂げた。

そして、オープンの日。スタジオの前には行列ができ、すべてのレッスンが定員満員に。そしてオープンから3ヶ月で会員数は160名に伸び、2011年にはピラティス指導者が実践的な指導を学べる場となる「ピラティスボディアカデミー」の開校も決まった。

ピラティスに強く惹かれた2つの理由

櫻井さんがここまで強くピラティスに惹かれたのは、自身がピラティスでどん底の生活から救われた経験があったからに他ならない。ピラティスとの出会いは、約6年前。妊娠が分かり、喜んだのも束の間、ひどい体調不良に襲われた。妊娠中でありながら精神安定剤を処方されるほど。産後もうつ状態が続き、睡眠薬を飲まないと眠れない日々が続いていた。そんなある日、わらをも掴む思いで手にしたのが、1冊のピラティス本だった。

「当時はヨガがブームだったので、最初はヨガの本を検索していたんです。その時目に留まったのが千葉恵美さんの『きれいやせピラティスDVDレッスン』。30日間記録しながら取り組めるようになっていて、1日たったの10分程度、『これなら続けられるかも』と購入しました。実際に始めてみると、10日目に気分が良くなって睡眠薬を飲まなくても眠れるようになったんです。本の冒頭に書いてあった創始者のジョセフ・ピラティスの『ピラティスをすることで、10日で気分が変わり、20日で見た目が変わり、30日で新しい身体に生まれ変わる』という言葉を信じて黙々と続けたのですが本当にその通りでした。その感動は今でも忘れられません。30日終わる頃には、本来の明るい性格も取り戻し、ママ友も増えて。それでママ友にこの本を勧めたら、みんなキレイになって、喜んでくれた。『私インストラクターになるから、それまでこれでピラティス続けてね』って、その時から話してたんです」
もう一つ、今の櫻井さんを突き動かす過去がある。中学生の頃、新体操に惹かれ、人一倍練習に打ち込み、地域の大会で優勝するまでにもなった。本気で「一生やりたい!」と思っていたが、高校進学の時点でその夢を諦めてしまった。新体操ができる環境がなく仕方がなかったとはいえ、「自分の夢を諦めてしまった」という後悔が、心にずっとひっかかっていたのだ。ピラティスの良さに触れた瞬間、一気に当時の情熱が自分の中に湧き起るのを感じたという。「もう二度と後悔したくない!」。その気持ちがピラティスへの思いを後押しする。